飯野八幡宮
![]() |
|
多くの参拝客でにぎわう飯野八幡宮 |
飯野八幡宮(いいのはちまんぐう)は、平字八幡小路にある神社。奥州飯野平鎮座。源頼朝が文治2年(1186年)戦勝を祈 願して建てた「五里八幡」のひとつとされている。
いわき市民の初詣スポットとして大晦日・元旦は多くの参拝客でにぎわう。毎年9月14・15日の例祭に鳥居の前の市道で行われる流鏑馬神事が有名。流鏑馬は、承和二年(1346)より連綿と継承されてきた神事であり、騎士は狩りの装束で笠、むかばき、箙を着け、弓を持つ。笠は五色の紙垂で飾られる。3つの的をめがけて矢を放つ勇壮な姿が見もの。参道では名物の生姜市も開かれる。
![]() |
|
流鏑馬 |
流鏑馬神事は別名生姜祭りとも言われる。源頼義公が前九年の役に出征のおり、ひどい暑気あたりにかかり、地方の農民が献じた生姜を食し、その病を治癒したという伝承に由来。境内では生姜が並び、流鏑馬では馬上より生姜がまかれる。
磐城平藩安藤家時代には、大鳥居の向かい側は藩校施政堂が置かれていたが、戊辰戦争で平城攻撃の際に建物は焼失してしまった。藩校で多くの子弟を教育した室桜関(1818~1885)の碑が境内にある。篆額は最後の平藩主であった安藤信勇(あんどうのぶたけ)、書は明治を代表する書家・巌谷一六(いわやいちろく)である。桜関の七回忌にあたる明治24年、かつての門人たちにより建立された。飯野八幡宮は、慶長7年(1602)鳥居忠政が磐城を領有して新たに築城するのに伴い、現在の地に遷宮したとされる。
![]() |
|
飯野八幡宮 |
大鳥居をくぐると円月橋がある。大正時代には改修されて石造りになったが、擬宝珠には元禄10年(1697)の銘がある。棟高10.6メートルの楼門には、「八幡宮」の社号額が掲げられている。後陽成天皇の皇子で、後水尾天皇の弟にあたる聖護院門跡道晃法親王(1612~1679)の染筆である。和歌の指導を受けていた藩主・内藤義概(ないとうよしむね)が、延宝2年(1674)の社殿大改修の際に寄進したものである。楼門の周囲を巡って、彩色された十二面の蟇股彫刻(かえるまた)を眺めるのも楽しい。 楼門のほか、神楽殿、唐門、仮殿、宝蔵・若宮八幡神社、幣拝殿など、境内の建物は、いずれも国の指定文化財である。
延宝2年の改修で、桁行三間・梁間三間・入母屋造・こけら葺となった本殿は、昭和58年に国の重要文化財に指定された。11.8メートルの高さにある箱棟には、八幡宮独特の鬼板が取り付けられている。
【引用:奥州飯野平鎮座 飯野八幡宮 ホームページ】
![]() |
|
古式大祭の神輿渡御(みこしとぎょ) |
■ 御祭神
品陀別命 ほんだわけのみこと(応神天皇)
息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと(神功皇后)
比賣神 ひめがみ(仲姫)
■ 例祭日
9月13日 潮垢離
9月14日 例祭・流鏑馬・祭祀舞・清興
9月15日 古式大祭(八十八膳献饌)・神輿渡御・流鏑馬・祭祀舞
■ 略縁起
社伝によれば、康平6年(1063)源頼義が奥州合戦(前九年の役)出征の時、京都石清水八幡宮を必勝祈願のため勧請したという。しかし、文治2年(1186)関東御領好嶋荘の総社として、源頼朝の命により本社石清水より御正躰を奉じて、赤目崎見物岡(現在地不明)へ祭祀したとの別伝も記録に見られる。
建永元年(1247)時の執権北條時頼は、幕府政所執事伊賀光宗(宮司飯野家の祖)を好嶋荘の預所に任命した。以後代々預所職と神主職を兼ね、現宮司飯野光世にいたる。
● 国指定重要文化財
建造物7点(本殿・楼門・神楽殿・唐門・仮殿・宝蔵・若宮八幡神社)
他2点(大薙刀 銘 備州長船住盛景・飯野家文書)
● 県指定重要文化財 4点
流鏑馬と献饌
絵馬 双鷹図
絵馬 引馬図
常滑大壺
● 市指定文化財 10点
刀 銘 八幡大菩薩鈴木加賀守源貞則)
絵馬 源為朝の図額
流鏑馬の用具類及び献膳の祭器
幣殿拝殿
青銅製鈴杏葉
飯野八幡宮 神輿
竹林七賢図硯屏
仙女蟠桃図硯屏
絵馬 渡辺綱の図
史跡 高月館跡
飯野八幡宮つながり
[平]? [初詣]? [お祭り]? [平一小]? [飯野文庫]? [3D飯野八幡宮]?
奥州飯野平鎮座 飯野八幡宮
http://www.noteplan.net/8man/index.htm
3Dモデリングによる飯野八幡宮の世界
http://www.iwaki-cc.ac.jp/hachiman/index.htm



